こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
どーもあさです。
今まで数々の熱いサークルとセパタクローへの想いが語られてきた卒業日記を
自分が書く番になったことが感慨深いです。
自分は懐古厨というか、懐かしいっていう感覚が異常に好きで、
節目節目で、
最後になったら今回のことを自分がどんな風に書くんだろうかとか
このことはラポラに伝えてから追い出されたいなーとか
追いコンのことは意識してました。
でも、結局何も考えずに書き始めてしまっています。
もうどうにでもなれ。
さて、まずは最近の話題から。
道オープンお疲れ様でした。
最後の大会とても楽しかったです。
この大会が最後っていうセパタクロー人生の終わり方が自分らしいなと思います。
最後にすぐると試合ができたのも楽しかったし、感慨深い。
2人とも組んでくれてありがとう。
ゆうき、最後の一年は2つしか大会出てないけど、君のおかげでどっちも「楽しく勝つ試合」ができました。
ありがとう。
今年ほっとんど練習行ってないくせに自分が言うのはなんなんですが、
あらゆる状況が難しい代で頑張り続けたゆうきに対するラポラからの恩返しになっていてほしいなと思います。
ともや、冗談もお世辞も抜きでこれからラポラを頼んだよ。君に望むのは、結果だけ。
僕が行けなかったとこまで行ってください。自分に負けないでねー。
道オープンが終わってからは、来週の学会の準備に勤しんでおります。
修論発表とほぼ一緒だからそんなに大変じゃないですが、追いコンの次の週にもポスター発表をする予定だったり、
入学手続きだったり、来年度に入る前に終わらせておきたい実験のことも考えたりと
まあ普通にポンコツ大学院生してます。
追いコンまでに何回か練習に行きたいなとは思ってたんですけど、やっぱり厳しかったです。
そういえば、この1年僕の闇落ちの原因であった来年度からの資金源ですが、
なんとか滑り込みで獲得できました。来年度からはお金持ちの世帯主です。
ただ経済状況が少し変わるだけで、住むところは変わらず札幌です。
学校にいることが多いので、たまーに誰かには会えるといいな。
たまーに練習に顔出す余裕も作りたいな。研究頑張ろ。
というわけで、ラポラ最後の年、最後の月にも関わらず、
先輩方に倣って「生き急ぐ」ことができなかったことで、
ラポラ人生に悔いが残る形となりました。
学生生活には悔いが残らないよう気をつけたいです。
後輩のみなさんは、ガンガン生き急いでください。
それでは本題の「みんなに伝えたいこと」です。
正直無限にあるし、僕が言わなくても今までの日記に皆さんが残してきた
とてつもなく価値ある言葉が残ってはいます。
懐古厨としては本当にみんなに読んでほしい。
「次まだ〜」と言わずに、今までのラポラの歩みも楽しんでほしい。
というわけで、この場で今のラポラで僕が伝えたいことを
いくつか書きます。
どの口が言ってんだということもありそうですが、書き逃げです。
結論から、
①一度でいい、一時期でいいから、セパタクローに真剣に向き合ってほしい。
②自分が何のためにラポラでセパタクローをするのか、決めていてほしい。
③強いラポラでいてほしい。
①一度でいい、一時期でいいから、セパタクローに真剣に向き合ってほしい。
僕は、2年生の新人戦あたりかなーと思います。
同期のアタッカーに化け物しかいなかったんですよ。
皆さんご存じ、身体能力お化けの伝説の男、初代ラポラの代表育成アタッカーとらのすけくんと
とんでもなく負けず嫌いで、やれることに努力を惜しまないエゴイスティックアタッカーゆうとくん。
2年生の北海道新人戦に向けては、この2人に勝つことだけを考えてセパタクローをしました。
——
いかに(少なくともこの大会にかける思いは)真剣だったかということを伝えるために長ーい昔話をします。
運がいいことに僕は同期の3人で一番体が柔らかかったです。
セパタクローという競技において、これはかなりのアドバンテージでした。
最初かなり褒められました。
とらは1年生の後半から、ゆうとは道大あたりから頭角を表しますが、
1年生の間にたくさん褒められて自分でも上達を感じられたことは、
最後まで自分を支えてくれた絶対的な自信を育んでくれました。
しかし、そんな自信はあくまで自分の中だけの問題であって、
先輩からの評価はきっちりしていて、2人はどんどん上のレグで先輩と組むようになりました。
とらは、1年の最後から打ち方を変えた影響で怪我が多かったものの、
やっぱりその身体能力の高さによるプレースケールの大きさがどうしたって大きな武器で、
2年生にして、春学生ラポラB、道大ラポラB、秋学生ラポラAと常に上位レグで出場していました。
もちろんチーム戦も選ばれてました。
そして、もう1人のライバルゆうとくんは、
1年生のJOCの時に、その狂気じみた負けん気と計り知れない努力で
圧倒的なレシ力とリーダーシップを手に入れ、
(たしか、道オープンで”アタレシモンスター”なかたつさんの豪速球サーブを、
1年生にして余裕で捌いていた。そして、くっそあおってた。)
続く2年生の春学生で、後に相棒となる愛すべき同期サーバーたかのしょうと組み、
日体(?)の4年生サーバー(就活明けとはいえ、たぶん格上)をも倒して、
Div. 3優勝という輝かしい結果を残しました。
このことで勢いづいた彼の評価はうなぎのぼりに上がり、
道大ではラポラDで出場してタクタクのとしさんのレグから1セット取り、
当然チーム戦Aにも選ばれて元日本代表はぎさんとバッチバチにやり合うほどに圧倒的な成長を遂げました。
基本的に僕ネガティブなんでセパに限らず暗黒の時代は多いんですけど、
この年は特に肉離ればっかして練習もろくにできないのに、
同期の評価はどんどん高くて、確かなものになっていくのを見ていて、
「あー、本当にこいつらには一生勝てないかもな。」と心が折れそうな暗ーい時期でした。
とらは、自分の怪我と偉大な先輩と組むプレッシャーで苦労してたこと、
ゆうとは、1年目の時の悔しさをちゃんと自分の糧にして努力した成果でそこまで辿り着いたことを、
当時も自分なりには理解してたつもりです。
でも、やっぱり「何で2人ばっかり」って思ってた。
「自分も先輩と組んで、のびのびアタックを打てるレグで大会に出られれば。」って。
選ばれるに相応しい努力もせずに。
普段の練習に対する態度はもちろん、先輩をオープン大会に誘うということもしなかった。
調子に乗ってたというか、現実から逃げてたというか。
すごく象徴的な思い出が、その年のチーム戦の打ち上げでゆうしさんに、
「チーム戦メンバーに選ばれたのは、何でこうさんだったんですか。僕じゃダメだったんですか。」
みたいなことを言ったことです。
ゆうとには「そういうところだぞ。」って言われた。
ナイトが上がる状況を想定した時にこうさんの方が決め切れるという客観的な総監督の評価を受けて、
自信を持ってたプレーがまだまだ足りないことを思い知らされた。
今思えば、ここで開き直って自分の一番いいプレーを磨くことだけは意識し続けたのが功を奏したかも。
こんな開き直りは、アタッカーか代表級のエースサーバーにしか許されない気はする。
とまあ、こんな風に劣等感ばっか感じて、そのくせ調子に乗って2年目の2/3くらいを過ごしました。
でもやっぱり負けたくなかった。
道大では、しゅーやとしょうと組んで、室工の先輩レグを倒したし、
秋学生では、ひろきとしろうと組んで、ともやさん・しゅーや・たりくに勝ったし、
自分なりには成長してる手応えがありました。
(この道大で、室工の格上レグを倒したのに、その後同じ室工のレグ順位下のとこに負けました。
敗因は、圧倒的に僕がアタックを外しすぎたことで、これ以来しょうくんは2度と組んでくれなくなりました。
本当にごめんね、しょうくん。)
いいアタックなら負けてないと思ってたし、追い抜ける時が来ると思ってたので、
新人戦では絶対に勝ちたいと思いました。
勝つために必要な場面でアタックを決め切れる強いアタッカーになろうと思いました。
——
というわけで、セパタクロー人生で、一番意気込んだ大会。
結局は、スローとレシはしゅーや、試合の組み立てはたりくに完全に頼り切りでした。
でも、だからこそアタッカーとして点が欲しい場面でアタックを決め切るとか、
基本的にはアタレシにつながるようにしつつ、ここぞという時は止めにいくブロックとか、
やりたいことができて、レグに貢献できた実感がありました。
とらともゆうととも試合をして勝てたし、優勝できたし、本当にセパタクロー人生で一番充実した大会だった。
(たりくの日記で書いてあったことに2年越しで答えると、
おかげさまで後にも先にもないくらい本当にアタックをのびのびと打たせてもらえました。
君は本当にすごいよ。)
これだけ長々と書けば、それなりに真剣だったことは伝わるんじゃないかと思います。
ここで言いたいのは、僕と同じように強い思いを持ってやるべきだということではないです。
僕らの上の代からしたら全然思いが足りないくらいだから
もっと頑張れよということではないです。
JOCの打ち上げで、
たりくに「組んでくれてありがとう。あさを選んでよかった。」と言ってもらいました。
しゅーやも「2人と組めて楽しかった。」と言ってもらえました。
この言葉で、その一年抱えていたものが全て報われた気がしました。
そういう経験って人生で何度もできるものじゃないと思うんですよ。
我ながら4年経ってもつらつら書けるほどの思い出って
すごく価値のあるものだと思うんです。
大学生活の中でそんな経験をラポラでのセパタクローを通して味わってください。
そのために、一度でいいから、真剣にラポラでセパタクローをしてください。
②自分が何のためにラポラでセパタクローをするのか、決めていてほしい。
3年生になり、それなりに結果もついてきて迎えたチーム戦。
道オープンでは、自分のフォームの完成形であると思っていたタクタクのこうきさんに勝つことができ、
春学生では、Div. 2で準優勝まで行くことができ、
道大では、3位入賞もできました。
性格的に良くも悪くも少しの成長でもその時は満足できてしまうのですが、
道大の打ち上げではすおさんに「お前はもっとできる。もっとやるべきだ。」という趣旨のお言葉をいただき、
改めて先輩に認められたことに喜びを感じながらも
「そうだ、僕が目指すのはレグを勝たせるアタッカーなんだ」と認識し直しました。
もう一個上のパフォーマンスができるようになりたくて、
チーム戦を通してもう一皮むけたいと思って臨んだつもりです。
結果は、タクタクに惨敗。
1stでしゅーやたりくと出場。
としさんやんとさんがに出てきたため、作戦としては、自分たちは捨てレグ。
「負けてもいい。勝てるわけない。何が通用するか楽しもう。」と考えて、試合をしてしまった。
何を考えていたのか。本当に自分が情けない。
そういうレベルで戦える同期や先輩に追いつきたかったんじゃないのか。
作戦通り、と思ってしまっていました。
そんな人間が勝つためにコートに立っていられるわけもなく、とらと交代。
とらが何本がブロックを決めて一矢報いるも1stは取られ、
多くのラポラーの胸に刻まれる悪夢の2nd。
憧れた先輩たちが圧倒的な敗北を喫する姿を見て、本当にショックでした。
帰り道で、岩崎さんが心折れたって言ってて、
なんか自分の憧れたラポラが終わった気がして、悲しくなりました。
それと同時に、これから自分がラポラのアタッカーを
引っ張っていかなきゃいけないという状況を突きつけられた気がしました。
当時、こうさんはオーストラリアに行く予定だったし、ともやさんはいなくなるし、
ゆうとは就活が控えてたし、とらはもうセパタクローいいやって感じだったし、
その重圧に加えて、その日の自分のプレーがあまりにも情けなくて
拍子抜けであったことが後からわかって、打ち上げの間はずっと泣いてました。
たりくとりょうすけさんに、
僕には何が求められているのか、何が良くてこれからどうすればいいのか、
丁寧に教えてもらった気がします。
でも正直憧れてきた先輩が負けたことの衝撃が強すぎて、本当に泣くことしかできませんでした。
今思い出しても情けない。泣いても意味ないのに。
その後、コロナ。モチベーション迷子。
流石にいつ大会が開催されるようになるか分からない中で、
これからアタッカーとしてラポラをどう引っ張っていくか常に考え続けられるほど
セパタクローに集中できる状況ではなくなってしまいました。
正直なところ、ここらへんから下馬評通りの結果をきちんと出せたらいいよな、
もう何回大会できるかわかんないから、楽しけりゃいいなと思ってました。
この時期を振り返って、自戒を込めて伝えたいのが、
何のために練習に行ってるのか
何がしたくてセパタクローをしてるのか
どんな風になりたいのか
を自分なりに定めていてほしいということです。
今年の道オープンの最後みたいな試合で勝ち切れるようになりたかったです。
苦しい局面で上がったどんなトスでも決めてレグを支え、引っ張れるアタッカーに憧れました。
そうなりかったんだっていうことは、今になってやっと思い出しました。
1年生の時に見た道大、チーム戦。
2年生の時に見た秋学生。
3年生の時に見た道大。
レグが信頼しあって噛み合って、
本当にセパタクローを楽しみながら試合に勝つ、
そんな先輩の姿に憧れて、
自分もそれがしたくてセパタクローに熱中したんだって今になって思い出しました。
4年目で出た秋学北海道大会も、
M1で出た道大も、
M2のチーム戦と道オープンも、
本当に楽しかったし、結果にも結びついたかなと思います。
いいレグメイトと組んで、楽しくセパタクローができたと思ってます。
個人としては本当に満足したセパタクロー人生でした。
ただ、3年生までの貯金を崩した結果楽しめた気がしています。
自分が楽しんでそれでよかったなって態度になってしまいました。
学年が上がって時間が限られてくる中でも、
次のレベルを目指して試行錯誤しながらセパタクローが上手くなる
過程とそれが結果に結びつくことを楽しむ
そういう先輩の姿をほんの少しでも見せられなかったことに
本当に悔いが残ります。
みんながこれからどんなセパタクローをするのかはわかりませんが、
もし①のことが響いてくれたら、
きっと色んな理由で上手くいかなくてモチベーションを保てない時期がきます。
そんな時に、
自分が熱中したのは何がきっかけなんだっけとか、
自分ってどんなプレーがしたいんだっけとか、
目指してる姿っていうのが支えになると思います。
勉強でもスポーツでもなんでもそうであたりまえ体操なんだけど、
セパタクローでもそうしてほしいなってことです。
③強いラポラでいてほしい。
これは、もうそのままです。
今のラポラ、本当にいいサークルだなと思います。
学年の上下関係なく、本当に仲が良くて、和気藹々としているのが、ラポラらしいです。
だからこそ、「今の修士の代が卒業したらラポラは二度とタクタクに勝てなくなるなー」
みたいなアホみたいな風潮を吹き飛ばしてください。
サークルみんなで、誰かが大舞台で活躍する姿を
1ラリーずつ、1プレーずつ手に汗握りながら応援するあの空間、最高じゃないですか?
その空間で、コートの中で自分がプレーできたら?
あの一体感の中で、いいプレーは全員が喜んでくれて、
悪いプレーは励ましてくれて改善点を一緒に考えてくれて、
レグメイトとはえもいわれぬ信頼感が生まれて。
やっぱりそういう舞台って、上り詰めないと味わえないものなんです。
辛くて苦しくてつまらなくてメンタルぐっちゃぐちゃになっても
一歩一歩積み重ねた人しか辿り着けない場所なんです。
僕が望む「強いラポラ」っていうのは、そういう舞台に立っているラポラです。
ぜひそういう舞台に立って、セパタクローを楽しんでほしいし、
そういう姿を後輩に見せてほしいし、後輩も味わえるように助けてあげてほしい。
自分がどのくらいできたかはあんまり自信がないですけど、
それはこれからみんながどのくらい強くなるかでわかるのかなと思います。
もちろん発破をかける意図でも言ってるけど、
先輩としての役回りは何を持って成果とするかが難しいので、
みんなの今後の結果が自分の振る舞いの答え合わせにさせてください。
テレビの前の親父のヤジみたいなもんだと思ってください。
くじ運だろうが、あたりが良かろうが、結果が全てです。
学年が上がってくるといいくじ運を活かせるのは、結果を望み続けた人だけです。
練習に行って、一つ一つプレーを見て、アドバイスをあげること、
練習相手になること、レグを組んで上の舞台を経験させてあげることの方が、
よっぽど大事なのはわかってます。
至らない先輩で、すみませんでした。
本当にこれからのラポラを頼みます。
というわけで、以上が今僕がラポラに伝えたいことです。
一言でまとめるなら、
「もっともっとセパタクローが好きになってほしい」
です。
頑張ってください!
ほとんど後輩を意識した文章になってしまいました。
大会の振り返りもしたいから、
余裕ができたら3月中は追記しようかな。
同期へ
いざ書くと、それぞれに思うことが違いすぎて難しい。
本当に人数が多くて個性が豊かでまとまりがない代なのかなと思うのですが、
なんだかんだみんな話しやすくて居心地良かったです。
1年生の頃どんなに練習場所が遠くても欠席者が全然いなかったし、
結構セパタクロー好きな代な気がするのは僕だけでしょうか。
全員に向けた言葉になるとうっすいことしか出ませんね。笑
追いコンで、できるだけ個別に伝えれたらなと思います。
すぐに余計なことが気になって自分のことで精一杯になって、
色んな面で迷惑と心配(?)をかけたと思いますが、
4年間と6年間本当にありがとう。
先輩方へ
本当にかっこいい姿を見せていただいてありがとうございました。
おかげさまで自分なりにはセパタクローというスポーツに熱中して、
充実した学生生活を送ることができました。
あんまり可愛がりがいのない後輩だったかもしれないですが、
本当にお世話になりました。
たくさんセパタクローをしてくれて、ありがとうございました。
先輩に見せてもらったものをどれだけ後輩に還元できたかわからないですが、
少しは認めてもらえる結果を残せたんじゃないでしょうか。
まだもう少し札幌にいるので、機会があれば相手してもらえると嬉しいです。
書きたいことがまとまらず、中途半端な感じになりましたが、一旦投稿したいと思います。
本当に6年間ありがとうございました!!!
ラポラ16期 アタッカー 麻 裕毅
とてもいい日記。
返信削除6年間お疲れ様でした。
改めて上の3人化け物すぎた
返信削除ゆうとさん赤、麻さん青、虎くん黄色で
オシリス、オベリスク、ラー(遊戯王)
ぐらいに見えてた
もう感謝しかないです、ありがとうございます
返信削除いつか結果で恩返しします。
本当に道オープン楽しかったです!
返信削除あささんと2回もレグ組めて幸せでした
6年間お疲れさまでした!
次まだって言ってごめん
返信削除ドクター頑張ってな〜
返信削除青春を感じたありがと
返信削除博士飲みしよーねー
返信削除6年間ありがとう
返信削除もう一回くらいレグ組みたかった
メンヘラなのに後輩人気高い系のあさっぽい
返信削除博士で潰れないようにね!