皆さん、こんにちは。
卒業生のたかのしょうです。
RAPORA最高指導者のふうた君に一番バッターを任せていただいたのにも関わらず、日記の更新が遅れてしまったこと大変申し訳ございませんでした。
一番バッターとして、塁には出れるよう頑張ります。
1年近く会ってなかったりする2年目以降の人や、ほとんど自分を認知していない一年生もいると思うので、卒業直前ですが自己紹介しておきます。
名前:高野翔
ポジション:サーバー
専攻:工学部環境社会工学科資源循環システムコース
好きな芸能人:西村博之
特技:なんでも食べれること(賞味期限切れのドックフード,揚げたさそりなども食べる)
趣味:ポイントを貯めること
北大生の中で一番であると自負していること:クレジットカードの発行枚数
自己紹介はこれくらいにして、卒業生らしい日記を書いていきます。
これまでのRAPORAでの活動や思い出を振り返っていきます。あくまで記憶を元に書いているので、事実と反することがあってもお許しください。
この日記は俺が卒業論文で書いた文字数より多いものになっているので、暇な時見てもらえると嬉しいです。(卒論は引用で1万字、自分で書いた文字は4000字くらいだった気がします。)
日記を見て、俺がどういう思いでセパタクローをし、どういうセパタクロー人生を過ごし、どういう学びや財産を得たのか少しでも感じてもらえたら嬉しいです。
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2017年3月
北大に入学することが決まると同時にインスタを始める。せっかくインスタを始めたので、高校時代のサッカー部の大先輩である北村さんをフォローする。2017年3月6日に北村さんが投稿したヒョウ柄ユニの写真を見て、セパタクローというスポーツを認知し、興味を持つ。
2017年4月
北村さんに高校サッカー部の後輩である俺と麻さんがRAPORAの新歓に誘われる。麻さんは「俺は絶対(RAPORAに)入らないですけど、それでもいいすか?」的なことを言って北村さんの誘いを断ろうとする。
しかし、北村さんは「入らなくてもいいから、それでも来て!」みたいなことを言って麻さんを半強制的に新歓に来させる。一方で、誘われた俺は「待ってました!」と心の中で叫び、新歓に行くことを快諾。
俺はその日から新歓の日に向けて、セパタクローの試合を見てイメトレを重ねる。サーバーとしてなら活躍できるかもしれないと妄想する。
イメトレを重ねモチベを高めとうとう待ちに待った新歓当日(4月8日)、栄西小という教養等から遠いところで練習すると聞き、なんでそんな遠いねんと内心不満を感じ、体育館に向かう。そんなネガティブな気持ちは束の間、デモを見て俺は試合の雰囲気やプレーに圧倒され、セパタクラーになることを決断する。(RAPORAツイッターのH29/04/08の投稿を要確認)
この時のデモの試合を個人的にはデモと言いたくないが、究極のデモである。この先の3年間でこれよりも凄いデモを見たことがないし、これから先でもあれ以上のデモは見れないだろう。
またラポラという名称はアイヌ語で「はばたく」という意味と聞き、自分の名前と似たようなものを感じラポラに入ることに決めた。そして自分もラポラがはばたくための一翼を担えるような存在になりたいと思っていた。
4月10日フットサルサークルの新歓に遊びに行った矢先、足を削られ松葉杖生活を余儀なくされ、セパタクローの新歓にいけなくなる。
麻さんのことを忘れた4月下旬頃、 RAPORAの新歓に久しぶりに行くと、麻さんはラポラに入ってる。「なんでもやってみなきゃわからない」ということを麻さんから学ぶ。この時、麻さんがラポラへ入ったことがどれだけ自分を苦しめるかまだ知らない。
2017年5月
同期がだいたい出揃い、男子だけで20人近く入る。結構うまいやついるなという印象を抱く。(てっぺい、あささん、とら、わったetc)
現在は男子同期が10人となり、しろうを除く9人はみんな高校までサッカー部に所属している。
4年目にもなるとサッカーをやっていたかどうかが実力に大きく左右されることはないと思うが、1年目の頃はサッカー経験の有無は大きかったと思う。しかし、唯一同期でサッカー経験がなくても、ラポラを盛り上げ努力を続け成長し続けてきた。しろうはすごいやつである、本当に。(以下で「しろう」という単語は出てくることはないので、お許しを。)
2017年8月 北海道大会
初めての大会。レグメンバーは(たけうち)ゆうと、(もりた)ゆうと、りゅうと、俺の4人だった。
俺は名前の発音が似すぎて名前を呼ぶのが大変だった記憶がある。
この大会を通してセパタクローのカッコよさを先輩から肌で感じた。ラポラAのトーナメント初戦と決勝戦は鳥肌が立った。俺は一年生ながら、モップ掛け係としてラポラAの闘気溢れる決勝戦のコートに一緒に立つことができたことを今でも誇りに思っている。
(初めての大会の打ち上げは黒歴史of黒歴史である。)
2017年 秋の学生大会
ポジションの人数が合わないからという理由で、室工の友人と大会に出る。本当は同期の中で自分の実力を認めさせたいという思いがあり、室工で出てRAPORAを倒したいという陰謀があった。一応、北海道予選を突破し本戦に出るも0勝3敗して北海道に戻る。ラポラA(岩崎さん、ゆうしさん、りょうすけさん)の休憩になってしまう試合だった。
2017年 ビギナーズ大会
一年目のセパタクラーだけが出れる大会。レグメンバーはゆうととたくや。結果はベスト4。
準決勝の相手は日体A、同期のビックサーバーが強すぎて大敗した。
個人的には結果に満足し楽しい大会だったが、ゆうとはサーブが取れなかったことに悔しさを覚えていたと思う。たくやはこの大会に対し何を思っていたのだろうか。
ゆうとはこの日から日体の彼のサーブを取れるようになるために、レシーブの練習を拘って行うようになった。そしてゆうとは飛躍的に成長した。
2018年 新人戦
初めて実力主義に基づくレグ決めを行う。すんなりBになったので、俺は安堵していた。この時、評価されない人の気持ちを考えることはなく、Aに勝つことしか考えていなかった。
北海道新人戦、JOC新人戦どちらもこうさんとたくやと出場。
北海道新人戦前までの練習では一度も負けたことのなかったラポラA(北村さん、ともやさん、わった)に本番で負ける。「練習で勝っても、本番で負けたら弱者として映る」そんなことを学んだ新人戦だった。
2018年 春学生
ラポラEでDiv3に出場。レグメンバーはビギナーズと同じくたくや、ゆうと。
Div3ということもあり、トーナメントを順調に進む。決勝の相手は日体D,E?(後の俺のライバルとなる同期三人と4年生のインステップサーバー)。1セット目を落とし、2セット目と3セット目を取り優勝する。
3セット目はたくやは4年生のインステップサーブ普通にとるし、ゆうとは腰を負傷させながらも相手コートにアタックを決める。この大会、決勝戦を通して、俺らのレグの関係がより一層強くなった気がした。
2018年 道大会
麻さんとしゅーやと出場。予選で室蘭Aに勝って、トーナメント一回戦で室蘭D,E?に負ける。気持ちの問題で負けた、麻さんがアタックを外しまくって負けたそんな言い訳ばかりして、自分のプレーに目を向けることはなくただ人のせいにしてしまった。麻さん、しゅーやごめん。また憧れのたくみさんに、翔ならエースをとれるインサイドサーバーになれると言ってもらったのに、結局、そんなすごいサーバーになることはできなかった。
2019年 新人戦
北海道新人戦、JOC新人戦を2018年春学生のレグと同じく、たくやとゆうととラポラAとして出場。
昨年の新人戦に引き続き、北海道新人戦前までの練習では一度も負けたことのなかったラポラB(たりく、あささん、しゅーや)に北海道新人戦の決勝でタイブレークの末負ける。その1ヶ月もJOCでもベスト4決めでラポラBにタイブレの末負ける。自分のせいでたくやとゆうとがメダルを取れなくなってしまったことに自分の無力さを感じひたすら沈む。誰がどう見ても、敗因は俺であった。
大会後、実家に帰ってからレグメイト二人のこれまでの努力を考えると胸が張り裂けそうになるくらい辛く、号泣する。大学生活振り返って、涙を流せるくらい情熱を向けられること・人に出会えたことはとても幸せなことだったなと今なら感じられる。
JOCの2ヶ月後、運よく育成に選ばれる。なんで俺が?っていう気持ちもあるし、みんな俺が育成に選ばれることはよく思っていないのだろうと考えていた。なんせJOCにて、セパタクローを初めてみた母が「あんた、セパタクロー下手だね」というくらいのレベルだったからだ。JOCを機に育成に選ばれたからには結果を残したいという思いとゆうととたくやと一緒にメダルを取りたいという思いは強かった。
2019年 春学生
レグ決めで俺は泣いた。セパタクローをやってから、初めて自分を否定されたような気がしたからだ。この時の俺は子供すぎて泣けてくる。感情的になった俺は、試合をやってレグ順位をやって決めることを求めた。結果、ゆうととたくやとラポラBとしてDiv1で出ることができたが、本戦では一勝もできず大会が終了した。この大会も俺のせいで負けてしまったのにもかかわらず、レグメイトのたくややゆうともラポラ内で目につかないようになってしまった。本当に申し訳ない。
俺にとって2018年の道大会から2019年の春学生まで厳しい寒さの冬が続いていた。
俺は厳しい厳冬から逃避すべく、季節が真逆と聞いていた南半球に出かけた。
そう、無理やり暑い夏を取り戻そうとしたのだ。(実際、南半球の季節は日本でいう冬だった。)
2019年 秋学生
俺は南半球にいるため、秋学生の予選は出ることができなかった。本来は秋学生に出ることができなかったはずなのに、新人戦と春学生で蛇足でしかなかった俺を信じ、ゆうしさんを誘って無理やり出させてくれたゆうとにこの時は感謝の思い出いっぱいだった。
ゆうしさんが俺の代理にサーバーとして出てくれ、本戦はけいととゆうとと出ることができた。俺は出ていないが、なんか北海道予選を一位で突破して、俺がゆうしさんの代理として本選に出ているのではないかという雰囲気になっていた。本選の結果はベスト8で、JOCに続きあと一回勝てば日体同期のビックサーバーと試合できるというところで敗北した。俺は彼と当たりたいという思いとメダルを取りたいという思いが強かったので悔しかった。
この時、コロナウイルスが流行り、集大成となる4年目の大会がことごとくなくなることなど誰一人知らなかっただろう。
2020年 秋学生
コロナで春学生が中止になり、就職する俺にとっては最後の大会となる2020年の秋学生大会。この時もコロナによって東京に行くことに対して抵抗のある人が多く、ラポラとしては俺としゅーやとゆうと(ゆうとと出るのは5大会連続)の1レグしか秋学生に出場しなかった。俺はこの大会を簡単に欠場することは何としてしたくなかった。最後に結果を残したいという思いが強くあったからだ。自分のこれまでのRAPORAでの活動を肯定したい、これまで信じてくれた仲間に恩返ししたい、これらを実現するには結果を残すということしか方法はないと感じた。そしてしゅーやとゆうとを口説き、二人は嫌々ながらも(内心は喜んでいたと思うが)承諾して、大会に出場した。
結果はベスト4でメダルを取る事ができた。メダルも嬉しかったが、それ以上にビギナーズで負けた日体Aと再び準決勝という同じ舞台で戦う事ができた事そしてレグ全体が試合を楽しくする事ができてよかった。
(余談だが俺は小学校の時から試合が楽しくなってくると、頭の中で「勇気りんりん 元気ハツラツ
興味津々 意気揚々」というポケモンのサビの曲が流れてくる。)
チーム戦について一切触れていなかったが、俺はラポラに試合で貢献する事が一切できなかった。
チーム戦でたくみさんとかけいたさんみたいに活躍して、ラポラが羽ばたくための一翼を担えるようなセパタクラーになる事は努力不足でできなかった。このセパタクローでの反省を活かして、頭はクールに心は熱く、戦略的に努力する事ができるビジネスパーソンに成長し、組織に貢献できるような人になると誓う。
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こうやってRAPORAでの活動を振り返ってみると、貴重な経験や学びがたくさんあり、今の俺の財産になっていると感じます。そして数ある選択肢の中でRAPORAというサークルを選び、活動でき本当に良かったです。そう思えるのも切磋琢磨できた同期、理想となるようなかっこいい先輩、慕ってくれる可愛い後輩がいたからだと心から思います。
RAPORAのみんな、ありがとうございました。次は4年生の方のはるかに回します!
3 件のコメント:
なんかめっちゃ褒められとるデモに出ていたようで嬉しい
「レグ決めでおれは泣いた。」の一言吹いた笑
南半球の季節は日本でいう冬だった、がわかんなくて何回も読み直してる
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