北海道を発つ前に全てを完了させたかったので先投稿します。みきおは今日中には投稿するみたいです。
いよいよ最後の日記を書くときが来てしまいました。M2 アタッカーのさとしです。
去年までは卒業していく先輩や先に卒業した一部の同期、後輩の日記を見ながら感慨深くなってるだけでしたが、いざ自分がその立場に立つと緊張してます。
卒業生の日記は、自分たちが知ってる大会も自分がまだラポラに在籍してないときの大会もいろんな大会を振り返り、そのときの結果だけでなく感じたことや教訓などいろんな学びがあって読むのが楽しいです。
個人的にはあまり多くを語るタイプではないし、国語もできないし、うまく言葉を残せるのか不安ですが読んでいただけると嬉しいです。
ちなみに今は卒業旅行でバリから帰る飛行機の中で書き溜めしてます。
今回は以下のことを話します。
・近況
・伝えたいこと
・ラポラの振り返り&アタッカーへのアドバイス
・感謝の言葉
・近況
まずは近況から
3/30までは札幌にいます。30日の朝出発します。(今日だけど笑)
引越しの準備とかはすでに2月に終わってて他の人に比べたら余裕のあるかな。
それまでは日程合えば遊びでも飲みでも誘ってくれたら嬉しいです!(もう出発だけど)
4月からは横浜に住みます。
勤務地はおそらく横浜です。
横浜じゃなかったらトーキョーです。
北海道出身の田舎者からすると横浜くらいの都会感がちょうどいいから横浜にしてほしいなー
てかあと10日くらいで学生生活終わるの鬱すぎる、、4月からは社会の歯車だ、、
(なお、あと2日の模様)
そういえばこの前たいちに「さとしさんグルディス下手そう」とか「ちゃっかりちゃんと就活してたんですね」みたいに言われてなんやこいつやんのかってなった笑
確かに国語はできないけど。
当時のセンター試験国語86/200で入ったんだけどこれより低い人おる?
・伝いたいこと
さて、前置きは置いておいて、この日記で皆さんに伝えたいメッセージは3つです。
① セパに打ち込む
セパタクローに打ち込んでほしい。
社会人になってから一つのことに打ち込むのは難しくなります。時間がある学生だからこそ今のうちに打ち込んでほしいです。ただ、大学4年間ないし6年間もモチベーションを維持することは難しいとは思います。実際に自分もそうでした。でも最終的にはセパに戻ってきて打ち込んでほしい。大学生活全力でセパをやっていると報われる瞬間は必ずきます。それは結果というわかりやすい形ではないかもしれないし、ほんの小さなことかもしれないけれど、そこから得られる達成感や幸福感、信頼感は一生のものになります。「〇〇とレグ組めてよかった」って言ってもらえるだけでも誰でも嬉しいはずです。
それでもやはり「結果」はわかりやすい指標だと思うし、自分が卒業してからも大会の結果は1.2番に目に入ってくるポイントではあると思うので、ぜひ上を目指してセパに打ち込んでほしいと思います。
② 楽しむ
やっぱり楽しくワイワイセパするのは楽しい。
アタックが決まったら喜ぶ、サービスエース取ったら喜ぶ、そういうところを徹底してほしいです。これはレグの雰囲気作りにも関係してきます。いろんな人が指摘している通り、試合に勝つためにはレグの3人の関係性が重要になります。逆に3人の関係性に問題があると試合に勝つことはできません。だからこそレグの雰囲気をよくして楽しくセパしてほしい。自分の体験談にはなってしまいますが、アタックを打つ前にナイトが上がったとき、チームメイトが盛り上げてくれると、「これは決めるしかねえ」って思って1.5倍くらいの力が出せる気がします。それは自分の試合だけでなく、応援している時もです。味方の応援で盛り上げてもらえると誰でも嬉しいはずです。
③ ラポラを作り上げる&良さを残す
自分が入学当初、タクタクではなく、ラポラを選んだ理由を書きます。
高校の同期もいたということもありますが、
・週3.4回の練習頻度がちょうどいい
・楽しそうにワイワイセパしている
・セパ以外にも学年を超えて遊びに連れていっててくれる(日曜日休みを生かして)
この3点が大きかったと思います。サークルとしての良さを残しつつも練習には真剣に取り組むという姿勢が個人的には気に入りました(最初は思っていなかったけど)。また、学年の垣根なく楽しくセパしたりドライブなどの遊びに連れて行ってくれるところは今も昔も変わらないラポラの良さだと思います。②にも繋がる部分はありますがこのラポラとしての良さを代々受け継いでほしいと思います。
そのため、練習に対する熱量は人それぞれになってしまうのは仕方ないことかもしれません。しかし熱量を持ってセパをする人の邪魔はしない、そんな環境作りをする必要があります。みんながみんな熱量を持ってセパしないのなら話は別ですが、そんなことはないでしょう。特に高校までスポーツ系の部活をやっていた人なら負けず嫌いの人が多いはずです(自分も含めて)。バチバチにセパをやっていた昔のような環境が今のラポラにとって必要とは言いません(言えません)が、先輩方のように息を呑むような激しいラリー攻防戦をしたい、みんなに注目されながらプレーしたい、そんな思いを味わいたいのであれば、ただこなす練習ではダメなように感じます。ここで言ったのはあくまで一意見でどんな雰囲気のサークルになろうが卒業していく人には関係ないし、卒業生がどうこういう筋合いはありません。ただ、言えることは幹部の代が中心となってラポラをより良いサークルにしてください。これからのラポラを作り上げるのは今在籍するラポラーという自覚を持ってほしいなと思います。団体に属しているからには誰かがやってくれるとかではなくて一人一人が向き合ってほしいです。卒業して振り返った時に「ラポラに入ってよかった」となるはずです。
ここまで柄にもなく先輩風を吹かせてすみませんでした。
・ラポラの振り返り&アタッカーへのアドバイス
次にいろんな人が書いているラポラでの振り返りをしたいと思います。いろんな人のラポラに入ったきっかけを知るのって意外と面白いですよね。
主に大会の備忘録的な感じになってるのでさらっと読み流してくれて大丈夫です。(ちょいちょい悔しかったランキングが出現してます。)
途中、アタッカーへのメッセージも書いてありますが、興味のあるアタッカーは呼んでくれると嬉しいです。
コロナの暗黒期があったので中抜けしてるし、昔の記憶を辿って書くため、事実と反することがありますがお許しください。
【1年生】
2018年4月
北大入学
高校のサッカー部4人いたけどみんなフットサル部(エスペ)入るって話してたから自分もそのつもりでいた。
とりあえず、北食の出入り口付近で大量のチラシをもらったけど捨てた(ラポラのもあったと思うけどごめんなさい笑)
フットサルやる気満々でいたけど、高校の友達がタダ飯あるから新歓行くべって誘われて(この頃から元取るハングリー精神が芽生えていた!?)色んな新歓行った。
フットサル、カヌー、スカッシュ、ラクロス、少林寺拳法、、、、、、、そして、ラポラ
そうなのです。ラポラの新歓は高校の同期が行くって言うからついてっただけなのです。
ラポラに連れてきてくれた高校の友人「宮シモ」(元ラポラすぐ辞めた)には感謝です。
初めての新歓は栄西小。
教養からチャリを借りて先輩に連れられて小学校に向かう。
当時2年生のしょうさん(1個上、後にアニキになる男)に先導されて向かった。
「名前なんていうのー?」
「さとしか!俺はしょうって言うから!嵐のメンバーの名前で覚えられるな!」
なにこの会話って思ったけどめっちゃ優しかった。ラポラで初めて話た人はこの漢だった。
新歓に行くと、
デモすんご
円陣玉蹴りたのしー
先輩やさしー
めっちゃ褒めてくれるやん、俺もしかしてセパできる?(錯覚)
デモは圧巻でした。
当時3年のともやさん(2個上)や2年生のとらくん(1個上)のアタッカーがバチバチにやり合っていて見惚れてた。おそらくこの時からセパの沼へ足を踏み入れていた。
しかもワイワイ試合してて楽しそうだった。
新歓後ご飯でクラーク亭に行き、高校の同級生数名でしょうさんが山崎邦正に似てるって話してた。
その後も何回か新歓に参加させてもらいラポラへの入サーを決めた。
まさかこんな大学生活を始めるなんて思ってもなかった。
こうして小学2年生から10年くらい続けてきたサッカーを辞めてセパタクロー人生からスタートした。サッカーを辞めるということは個人的にはかなり大きな決断だった。
ちなみに新歓でのアタック体験で肉離れした。
2018年5月
練習に参加した
新歓と練習のギャップに戸惑いを感じた。(おそらくみんなが通る道)
「え、ここサークルじゃないの?」
って何回同期と話したか
もう一つ驚いたことが、、
_人人人人人人人人人人人人人人人人人_
>高校の仲良くなかった同級生おる!?<
 ̄ Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
たえこでした。
「野津くん」を広めたのはこの方のせいです。
正直、途中でやめるやろーっても思ってたけど最後まで続けててすんごってなってた。
春学前だったから先輩たちはバチバチに試合してて基礎練が終わるとコートにすら入れなかった。試合やってるところにボールを入れたらブチギレられそうだし何もできなかった。
この頃の様子はけっこう覚えてて、男子は固まって雑談してて、女子はもくもくと1人玉蹴りをしてた。すげーなーって思ってた。この時、サークルの先輩方とのセパに対するモチベの差は顕著だったように思う。
アタッカーやりたい!って始めたものの上にはおっささん(5個上)、岩崎さん(3個上、怪我であんま来てなかったけど)、ともやさん、こうさん(2個上)、ゆうとさん(1個上)、あささん(1個上)、とらくん(1個上)とゲキ厚層だった。
その中でも1個上の3人が三大将かのように立ち塞がってて、上にのしかかっていくのが不可能だった。
自分たちの代は最初7人アタッカーいたけど圧倒的に下手だった(って散々言われてきた)
ただ、春学当日、練習に1年生と院生しか来ないような練習では、たくさんコートに入れてもらえて楽しかった。
当時M2のおっささんにたくさんアタックを教えてもらって少しできるようになった気がしていた。
やっぱりできないことが少しできるようになるのは嬉しいと感じた。
〜ここで、俺をラポラへと導いた宮シモが勇退する〜
2018年6月 新歓合宿&ラポラ杯(ともかさん、とも)
日高の1泊2日の合宿
ラポラ杯は同期のともとともかさん(2個上)と出た。
1年生2人いるにも関わらずまとめてくれたともかさん、最強でした。
今考えると神レグすぎる。スロー投げなくていいし。もう一回組みたいランキング上位に入る。
2018年7.8月 道大合宿&道大(もりゆうさん、しろうさん)
当時、上級生だけではアタッカーが2枚足りなかったので俺とけいと(同期、後のJOCで浦和キッズ、現在ふじみの高校生たちに「アタッカー引退」の引導を渡される)が引っこ抜かれて先輩と組ませてもらうことになった。
合宿ではアタックでちゃんと飛べるようになるまでエンドレス打ち込み(通称:跳ぶまで帰れま10)をやったのが今となっては思い出。
ご存知の方が多い通りめちゃめちゃ組みやすい先輩方で初めての大会でしたが楽しかった。
予選は2位で通過して、トーナメント1回戦でタクタクのはぎさんたちにあたって普通に負けた。
2018年9月 秋学予選(せいや、まおりん)
結論から言うと本戦には行けなかったけど、あと一枠をかけた戦いで当時タクタク3年生だったまるさん、もといさん、マーティンさんのレグにタイブレまで行けた伝説回。
本戦行きたかったなー
2018年11月 チーム戦
負けてしまったタクタクとの決勝はめちゃめちゃ熱くてセパに対するモチベが上がった。
たくみさん(5個上)がばこばこサービスエース決めてて今でも印象に残ってる。
2018年11月 ビギナーズ(せいや、げんた)
初の道外大会。
サーバーがせいやとつばさしかいなかったから2レグしか組めなかった。
ちなみにラポラからは2レグ出場したけどけんせいもみきおも出てない。
ベスト8で関西学園大学(廃部?)に負けた記憶。タクタクのけいごたちが優勝してた。
女子はともがサーブ無双して2位取っててすごかった。
2019年1月 北海道新人戦(てっぺいさん、つばさ)
このときベスト4のうち3つラポラとかだった最強時代。
この大会で右小指を負傷した。つばさも足怪我してた。
トーナメントのどこかでとらくんしろうさんひろきたちに潰されたけどいい試合ができて楽しかった。
〜この辺でノルマ球蹴り終了(ヘッドが一生終わらんかった)〜
2019年2月 JOC(てっぺいさん、つばさ)
決勝トーナメント2回戦で日体Aに負けた。
てっぺいさん最後のJOCだったから勝ちたかったけど、打ち上げのときにいい試合できたわーって言ってもらえて嬉しかった印象。
〜ここで浦和キッズ(現ふじみキッズ)が台頭する〜
2019年3月 道オープン(みきお、けいと)
「いっつもレグ決めでアタッカー余るから組もうぜ」的なノリで結成。
アトレティコユニ作ったけどクラティーみたいな素材で萎えた。ラポラ杯で出しやす笑
予選で日体の藤本くんとか笹本くんのレグにボコされた気がする。
2019年3月 新歓前合宿
div2出場枠をかけて、俺てっぺいさんしろうさん、けんせいつばさもりゆーさん、みきおひろきせいやが三つ巴対決。
勝者 みきおひろきせいや
上の人たちもdiv1出場枠をかけて熱い試合をしてた。
〜1年生終了〜
入学当初は新歓とのギャプに戸惑いがあったものの、高校までサッカーをやっていたアドバンテージを活かしてセパをやってた1年間でした。アタックに関してはなんとか飛べてると言えるくらいにはなっていたが形はまだ完成していませんでした。自分の場合は幸い先輩と組ませてもらうことが多かったのでたくさん試合に出てアタックを打つことで実践感覚を養うことができました。同期アタッカーが7人いたけど1年終了時には俺とけんせいとみきおの3人だけが残りました。
今の1年生アタッカーに言えること:
怖がらずにがむしゃらにセパしよう。飛んでみないことには自分がどんなアタッカーになれるのかがわからない。自分の理想のアタックと現実が乖離しすぎてるとよくない。できないこともあるかもしれない。例えば、身長の低い俺は強靭なジャンプ力を手に入れない限り、身長の高いけんせいのようなアタックは打てない。柔軟性とか技術的な面は努力次第。
自分が1年生の頃のアタック動画↓
https://drive.google.com/drive/folders/1jrvvBU1W50TcK5syDhq7grykWDmJQp9R
・基本的に「飛べ!!」としか言われてこなかったからとにかくがむしゃらに飛んでいる
・背中から落ちたら痛いから手や腕、足で着地して衝撃を吸収している
・意図したアタックの打ち分けはできない
・普通に下手くそ
【2年生】
2019年5月 春学(てっぺいさん、しろうさん)
新歓前合宿でみきおたちに負けたからdiv 3出場。
結果は準優勝でdiv 2枠獲得。
決勝では当時まだ発足ばかりの尾道に負けた(大山くんたちのJOC優勝レグ)
勝ち上がる楽しさを感じた大会だった。トーナメントも東工とか室工にタイブレしながらギリギリの戦いだったけどその分楽しかった。
ここでてっぺいさん寝坊事件があった。
2019年5月 ダブルスmix(たえこ)
高校の同級生かつ大学の学科も同じということでレグを結成。
全然スポーツに向いた素材じゃないのに高3のときのクラTで出たのがおもろかった。
この時点でダブルスはびっくりするくらい下手くそでもといさんたちに負けた。みきおとりこには勝った気がする。レシ力が皆無だったなあ。
2019年6月 新歓合宿&ラポラ杯(もりゆーさん、ちなつ)
スローが合わないことがあってちなつには申し訳なかったなー
ちなみにこの頃のスローの溜めはなかった。
まー楽しく試合できたからおけ。
レグにもりゆーさんいるとほんわか試合できるから好き。
〜この合宿でしょうさんがアニキになる〜
2019年7.8月 道大合宿&道大(けいと、つばさ)
この頃には同期アタッカーはみきおけんせいの3人。だけど、みきおは神社の修行へ、けんせいは怪我かなんかで合宿を休んでた。
2年生になってアタッカーの打ち込みも上級生と同じメニューになってかつ同期もいなくてきつかった。
せいやが上裸で合宿所の廊下を歩いてて先輩に怒られてた。
道大はベスト32くらい?
このレグは上振れするとかなり戦えるレグだった。ただ、やはりレグ自体の総合力は当時まだ低かったんだなと思う。もう少し何かできたのではと悔しさが残った。
2019年9月 秋学予選(てっぺいさん、せいや)
予選敗退。
予選では室工Aに勝ち、ラポラBに引き分け、タクタクBに負けた。予選を通してレシがボロボロだった。結果は、とらくんしゅーやさん(1個上)つぼさん(2個上)たちのラポラBに得失2点差で3位となり敗退。
ちゃんとした大会で初めて予選で終わった。セパへのモチベが高くなっていただけに悔しかった。得失の重要性を再認識する経験となった。今でも得失を考えながら試合するときはこの大会を思い出す。
本戦行かせてくれーーー
2019年10月 裏学生(みきお、せいや、まおりん、やまと)
学生本戦行けない同期組で北海道グリーンランド。もう辞めてたはずのアタッカーやまとがなんでいるのかはわからん。
2019年11月 チーム戦(Bチームで出場)
トーナメントでラポラAと対戦。
結果は負けたけど、俺せいやひろきで出た試合はあささんしゅーやさんたりくさん(1個上)のレグに勝利。めちゃめちゃ嬉しかったし、このときアタッカーとしてのレベルが1つ上がったような気がした。
この決勝ではラポラとタクタクが対戦したけど、タクタクにボロ負けしてるのを応援して見ることしかできない自分がやるせなかった。試合には出ていないけど、セパタクロー人生の悔しかったランキング3位。
憧れていた先輩方がことごとくタクタクのレグにやられていき、しまいには自分らと同期のりょうにラポラの先輩が負けるところを見るのはショックだった。
2020年1月 北海道新人戦(せいや、けいと)
結果は準優勝
たかのぶりょうてるのタクタク同期にタイブレで負けた。ラポラとして期待されていただけに結果で答えられなくて悔しかった。今思えば、去年のアタッカーの先輩はーーーって比較されると返す言葉がなくなってしまう…セパタクロー人生の悔しかったランキング4位。
〜この頃からスローについて言われるようになってきた〜
2020年2月 JOC(せいや、けいと)
結果はベスト4
自身初のメダルで嬉しかった反面、準決勝で日体の1個下のレグ(深井くんとか)にタイプレで負けたのが悔しい、、
セパタクロー人生の悔しかったランキング5位。
けいとの日記でも言っていたように、このレグはお互いがお互いを支え合っていて、誰かが調子悪いときでも他でカバーできる、そんな安心感のあるレグだった。まさしくレグの総合力が高かったと思う。あと、この時期に「バモス!!!!!」の声がけが流行ってて雰囲気作りしてた。
今振り返ってみるとけいとは今のラポラトサーも見習うべきくらいうまかったと思う。個人的にもトス質が一番好きだった。クイックのトスもめちゃめちゃ打ちやすかった。
〜2年生終了〜
2年生は1年のときよりもがむしゃらにセパに没頭しました。がむしゃらとはいってもただむやみにアタックを打ち続けるのではなく、フェイントやクイック、アタックの打ち分けなどを効果的にやろうって思ったのが2年生でした。
今の2-3年アタッカーに言えること(次のステップとして):
もっと考えてセパする。
先に一言で「効果的」としてるけど、それは相手の状況を見たり、トサーの助けも必要になる。例えば、相手の心理的にここでフェイントをやると引っかかってくれそうだなとか、ここで流しアタックされると太刀打ちできないなとかとにかく相手が嫌がることを意識すべき。
とは言っても、アタックに個人の癖は出てきてしまうと思ってて、例えば、寄り目の低いトスに対してはフェイントをすることが多いなって相手に思われてたらそれは相手にチャンボを供給だけになる。このケースはまさに自分にもいまだにあるなと思ってて、読まれないようにするための対策すべき。先のケースに当てはめると、フェイントの落とす位置を意識的に変えてみたり、強く叩いたらネットに引っかかるから奥目にアタックを打つようにしたり、そもそも打点が出てなくてブロックに引っかかる可能性が高いからブロックアウトを狙ったり(そのために、相手ブロックにドシャットされないように強い流しを打つとか)いくつか頭の中に入れておくだけでもいいと思う。実際にこれくらいのことは考えてました。逆にレシに関してはサッカーの感覚が離れておらず、感覚でしかあげられていなかったように感じられます。上がるっちゃ上がるけど、上げ方が汚いとか。
自分が2年生の頃のアタック動画↓
https://drive.google.com/drive/folders/1NtiAoakAEW0wDIyLzVDxHkQE1PayCVFI
・左足を高く上げて対空時間を作ることを意識している→ 1年生の時よりも体の重心が高くなり、叩くアタックが打てるようになってきた
・打ち分けを意識してアタックを打っている
・アタックの形は定まってきた
・アタック時にただ膝下にインパクトを与えているだけになっていて、今よりも押せてない。打点のあるアタックは特にこれに該当していて、ちょこっと触るだけのようになっている。
【3年生】
コロナでほぼ活動できなかった時期。
こおおおおおろおおおおおなあああああああああああああああああああああああああああああああああああ
2020年8月 幻の道大(たくやさん、しろうさん)
コロナで開催断念。
追いコンのときに思い出した。意外なレグすぎたから追記。
2020年9月 秋学予選(せいや、ひろき)
結果はベスト4。
トーナメントでけんせいしろうさんたくやさんのレグと熱い試合をしたのが印象的。
コロナの影響で出場レグも少なくて秋学本戦も(あえて)出なかったと記憶する。
え、3年で出た試合これだけ?
【4年生】
2021年8月 道大(ゆうとさん、しろうさん、もりゆーさん)
院試の5日前開催で最初は出場を渋ってたけど、急にこうさんから電話がかかってきて、院試なんてどうにでもなる的なこと言われて出場することに。
勉強あるから出れないかもですって言ってたけど結局大会直前の練習には毎回行ってたし、ゆうとさんも社会人だから土曜だけ練習するって言ってたのに、後から平日木曜なら行けるとか言い出しておもろかった。
けっきょくはるとの日記にもあったようにラポラGとして3位取ったのもおもろかった。
2021年9月 秋学予選(ひろき、つばさ)
このとき同期のレグ決めで初めてけんせいにAを取られた。平常を装ってたつもりだけど内心めちゃめちゃ悔しかった。実際にけんせいはこの頃、高い打点から引っ張りも流しもなんでも打てるくらい上手くなってた。身長が低く打点が出ない自分からしたらもうお手上げだった。正直何を武器にけんせいと渡り歩けばいいのかが全くわからなかった。練習の中の試合で勝ってわからせてやろうって思っていたけど最後の最後まで勝てなかった。はじめて劣等感を感じた。練習で身近なチームに勝てないのに本戦どうすればいんだよーって思ってた。
ちなみに、コロナで予選はなくなった。
この頃から本戦に向けて同期男子で練習前にトレセン通い出したなあ。今も通ってるの俺とせいやくらいしかいないけど。
2021年10月 秋学本戦(ひろき、つばさ)
秋学で初めて予選突破した。全レグ参加可能だったけど笑
結果は自分のセパタクロー人生の中で一番情けない、不甲斐ない結果だった。
予選を1位で突破したらトーナメント1回戦でラポラAと当たることがわかっていたため、チームとして2位通過を目指そうとしていた。そこで2位通過をしてトーナメント1回戦のタクタクAにぶつかることを決意した。しかし、タクタクには敗れて最後の秋学が終わった。本当に情けなかったと反省してる。ぜひ後輩の皆さんには1試合1試合を大切にして全力で臨んでほしい。
秋学の打ち上げでけんせいと打ち上げに来てくれたともやさんとアタックの話をしてたとき、自分はほとんど何もできなかったため、けんせいの話を聞くことしかできなかったことがすごく悔しかった。ともやさんの「お前は早くけんせいに追いつけ」という言葉は今でも重く受け止めている。またけんせいせいやがベスト4を逃して泣いていたのに2位通過してベスト16に終わった自分が情けなく感じた。自分のセパタクロー人生の悔しかったランキング1位。(ここらへんの2ヶ月間を含めて)
2021年12月 ラポラ杯(しば、ひろと)
久々のラポラ杯。
合宿ではなく、3部練で開催されるようになったのはこの時から。
覚えてなかったから調べたけど、ひろきともともやの推しレグに負けて3位だった。
2021年12月 東北オープン(みきお、たいち)
エンジョイ出場。
そういえば、これが初めて後輩と組んだ正式な大会。初めて組んだ後輩はたいちでした笑
俺とみきおのダブルアタッカーレグでたいちはサーバー。トスはアタッカーのレシした方ないしたいちが上げる。このフォーメーションを以後、システム「シン・ラポラ」という。
やっぱオープン大会は普段の大会とは違って少し気楽な雰囲気でできるのがいいところだなあって感じた。練習では我らシン・ラポラが一番強かったけど、大会ではもっと強いチームが出てきて敗戦した。
て言うのは冗談だけど、俺とみきおがそれぞれトサーへの意識がなさすぎて負けた。(たいちにトスやらせるのも早かった。)
その後の仙台観光楽しかったなあ。牛タンうますぎいい
2022年3月 道オープン(ひろき、みやも)
ひろきがコロナ感染のため、1日目の予選終了時に帰宅させられ、みやもとファクトリーのラーメン食って帰った。
SC東京戦でコロナ状態のひろきが岡本けいごさんのアタックをブロックしたのいまだにこすってて草。
〜4年生終了〜
コロナ禍ではあるが少しずつ試合ができるようになってきた4年生でした。ただ学生4年間を通して、春学はdiv 3を1回、秋学は本戦1回しか出場できませんでした。また、個人的には4年生は1番伸び悩んだ時期であり、M1では忙しさを理由にセパとは距離を置いてしまう1つのきっかけにもなってしまいました。伸び悩みながらも初めて東北のオープン大会に出場して気分転換できたのは今考えるとよかったと思います。
今の4年目以上アタッカーに言えること(自分らも含めて次のステップとして):
強いアタッカーになる。
上手いアタッカーよりも試合で勝てるアタッカーにならなければならない。勝ち癖がついてるほうが、レグメイトとして選んでもらえるはず。勝ち癖をつけるためには、アタックの技術だけではなく、レシ力、ブロック技術、レグの雰囲気作り、アジリティなどなどさまざまな要素が必要となるがその根底にあるのはうしくんも言っていたように球蹴りと体づくりであることを忘れないでほしい。あと、アタックの威力を高めるために適度な筋トレも必要。
※ つらつら偉そうなこと言ってるけど自分もまだ足りないしことだし、あくまで自分の見解です。
【M1】
2022年6月 ダブルス(ゆうかさん)
たかのぶちあきさんのところに負けて3位だった。
アタックもたくさん打てたし楽しい大会だった。
ゆうかさんうますぎい。誘ってくれてありがとうございました。
2022年7月 大阪オープン(せいや、けいご)
せいやとタクタクのけいごで「ファイヤーポテトルネード」レグ結成。
名前の由来は1年の時の基礎クラの学祭から来ている。
無事ラゾラックにいた中津川くんたちに鎮火された。
でも基礎クラ同じ三人で出れたのはけっこういい思い出で楽しかった。
〜ここでスロークビ宣告を受ける〜
悔しかったランキング2位はスローが投げれなくなったこと。M2入ってからくらいは何も思っていないが、当初は馬鹿にされるのがすごく嫌だった。普段は何気なく投げれるのにサーバがポジションにセットすると投げれなくなる。イップスですね。大会でレグを作る時もアタッカーとサーバーの相性(主にスロー)を見て決めることが多いため、普段の練習からサーバーの練習で選んでもらえなくなったり、試合で組む人がいなくなったりするのではないかと自信をなくしていくきっかけになった。打ち合いでスロー投げるのが申し訳なくて練習に行くのが億劫になることも多々あった。自然と左利きサーバ(みやもしかいない)と組むようにされてきた。
2022年8月 チーム戦
結果は優勝。
ただ、自分としては試合には出ていなく貢献できなかった。
結果としては自分達は捨てレグ。俺らに回ってきた時点で詰んでいることは確定してしまう。そんな中でのチーム戦優勝。
同期のけんせいやせいや、後輩のゆうきが活躍するところで自分も戦力として戦いたかった気持ち。優勝できたのは素直に嬉しいけど、涙するほどではなかったのでちょっともどかしさも感じた。
2022年11月 道大(せいや、ひろき)
前日に就活のため東京から帰ってくるという鬼ムーブだったけど、結果はベスト8。
同じく全然練習していなかったうしくんとらくんロッシーレグにメダルがけで負けたのが少し悔しかった笑
〜M1終了〜
正直M1はセパのやる気が1番なかった年でした。理由としては就活や研究で忙しくなったこともありましたが、スローが投げれなくなったり、同期のけんせいとの差を一番感じた年でもあり、弱気になっていました。けんせいやせいやはチーム戦でしっかりと勝ち切り、後輩にいい姿勢を見せていましたが、自分としては何も残せずに終わった一年だったと思ってます。去年の追いコンであささんに「戻ってきてほしい」というお言葉をいただいて、M2こそは後輩たちに何か還元できたらいいなと考えていました。しかし、一緒に競い合っていたけんせいが追いコンされてる!?
【M2】
2023年5月 ダブルス(ともや)
「日産酒ヤクザ大通り店」レグ。
ともやの「酒ヤクザ」の称号を入れたレグ名。早く後輩に称号を受け継ぎなさい。
たかのぶゆうきくんたちに負けた。
〜宮シモとの再会〜
俺ひろきの3人で学祭を回った。
2023年7月 ラポラ杯(はるか、ゆい)
とにかくゆいが楽しんでくれてよかった。この時でもサーブうまいなって思ってたけど、今ではさらにレシもサーブも上手くなっててすごい。
2023年8月 道大合宿&道大(せいや、ひろき)
久々の合宿!気合が入った。こんなに一日中練習したのはこれが最後。
道大当日はメダルがけおっささんうしくんゆうきのレグに負けてしまった。素直にもっと戦えたなと感じて悔しかった。去年の道大といい、いっつもメダルがけでうしくんが立ちはだかる。最後の最後まで勝てなかったのが悔しい。
追記: うしくんの追いコンセパでうしくんの代のレグと俺みきおせいやM2レグで対戦し、システム「シン・ラポラ」で勝利して成敗できました。
2024年1月 東北オープン(ともや、たかはる)
道大が終わって事実上の引退かと思っていたが、ともやに誘われて再び熱が入った。やっぱり後輩から誘われるのは嬉しい。
たかはるも組んでくれてありがとう。2人とも後輩と出たのはこれが初めて。
リーグは酒飯と日体の鎌田くんたちでなかなか厳しかったけどいい試合できたし楽しかった。でもやっぱり勝ちたかったね。
うしくんとは一回も組んだことなかったから組んでみたかったなーっていうのが裏話。
2024年3月 道オープン(みやも、ちゅーご)
非常に楽しい大会だった。ちゅーご誘ってくれてありがとう。
2人には言ったけど、トーナメントの宮城A戦は個人的には2年生のJOC以来と言っても過言でないくらいの熱い試合ができた。タイブレの末負けたのは悔しいけど、2セット目取り返した時にみやもが「(道OP)出てよかった〜」と言ってくれたのが嬉しかった。両手を負傷して2日目に残ったとしても戦えるかは怪しかったけど、勝ち残りたかったね。
〜卒業式でゴールデンボンバーのやばい仮装してる宮シモに遭遇する〜
〜大学生活終了〜
6年間長いようであっという間。
空白のコロナ禍もありましたが数々の大会に出てきました。最低限の結果を残せた大会もあれば、予選敗退する大会もありました。むしろ結果を出せずに悔しさが残る大会の方が多いです。また、自分は他の人と比べて病み期に突入することはほぼなく、仮に辛いことがあってもそれを周りの人に周知させる、あるいは察してもらうことはなかったと思います。しかし口には出さなくても辛い時期があったことには間違いありません。4年生終わりにフェードアウトしてもいいなと思うこともありました。それでも最後までセパに打ち込めたのは同期を中心としたラポラーのおかげであり、セパ以外でも関わりを持ち続けてくれたことがすごく大きかったです。M2では再びセパに熱中し、チームメイトと共にセパに打ち込めたことは自分の中で大きな財産となりました。本当に感謝です。
欲を言えばもっともっと勝ちたかったのと、後輩とたくさん試合に出て還元してあげたかったです。後輩に還元するということはあささんだけでなく、こうさんやきたこさんなど上の人からも言われてきていたので、M2では普段の練習の時から意識的に教えたり後輩に話に行ったりしたつもりです。試合でもプレーで示したいと思ってました。その姿勢だけでも伝わっていれば嬉しいです。
ただ、現状の自分としてもアタッカーとして完成しているわけではありません。過去に卒業した先輩方も言っていたようにセパタクローは6年間では足りなく、後輩アタッカーにはもっと試行錯誤しながら上手くなってほしいです。まあスローに関しては20キロくらいのダンベル持ち上げるトレーニングでもしとけばいいでしょう笑
最後に、今の自分がアタックを打つときに意識している技術的なことをまとめておきます。アタックの方法は十人十色なので参考になるかはわからないです。あくまで一意見だと思ってください。
・ジャンプ力は関係ない
あるに越したことはないが打点にそこまで影響しないと思ってる。
・調子のいいときは二段ジャンプするようなイメージ
最初は普通の右足飛び。次は左足を大きく振り上げ、腰ないしお尻を引き上げる。
・打つときにボールと体のスペースは大事
窮屈になると、基本的にネットに引っかかるので、腰をしっかりと寝かせて打つか、自分からボールとのスペースを作らなければいけない。
・膝下の振りは素早く
自分のアタックは、膝下のインパクトとその後のフォロースルーの割合が7:3くらいの意識で打っている。1.2年の頃は膝下のインパクトだけだったが、フォロースルーで押すことも大事。しかし基本的には膝下のインパクトで速いアタックを打っている。
・ネットスレスレのトスは打った足を引き戻すイメージ
そのまま。ネッチしないために。俺はこのトスめっちゃ好き。
・トスが上がる前に体の向きを作るのが大事
当たり前のことだが体の向き次第ではアタックが打てないor コースが限定される。基本ネットと背中が並行になるようにする。
・動体視力を高める & 足を速くする
トスが上がる前から(レシ位置やレシ質を基に)トスの上がりそうな位置やクイックが来るか判断する。特に走らせるトスに対してはすぐに動いて対応する。ちなみにひろきがクイックを上げるタイミングはほぼ分かる。
ここまで呼んでくれた人ありがとうございました。
・感謝の言葉
最後にこれまでラポラに携わってきた方々へ感謝の気持ちを述べようと思います。
先輩方へ
つまらない後輩だったと思いますが大変お世話になりました。セパに対して真面目で熱く、でもはっちゃけるところははっちゃける、オンオフの切り替えは本当に尊敬です。特に一個上の代はレグを組ませてもらったり、遊びや飲みに連れて行ってくれることが多くてラポラでの楽しい思い出を作ることができました。本当に感謝しています。
アタッカーの先輩に関しては本当に最後の最後まで追いつくことはできなかったと感じています。でも先輩方の試合や練習での姿勢からいろいろなことを学ばせてもらい、自分達も頑張らなきゃなと思えました。
ありがとうございました。
後輩たちへ
セパに関してかっこいい姿を見せることができたかはわからないけど、この日記で少しでも感じるものがあれば嬉しいな。セパ以外のことに関しても3年生を中心に仲良くしてくれて嬉しかったです。ありがとう。
これからもみんなのこと応援してます!いい報告待ってるね。結果も期待してます。
同期へ
同期がいなければ今までセパ続けて来れなかったし、こんなにセパにのめり込むことができませんでした。今の自分ができたのは同期のみんなのおかげです。特に女子は入サーのときから誰1人かけることなく卒業して行ってすごすぎる。異常なくらいじゃんをしてた日々も懐かしいです。じゃん負けしすぎて気を使わせてしまったり、男で1人だけスマブラや漫画の話についていけないこともあったけど優しい同期に恵まれたから最後まで残れました。
今まで当たり前のように会えていたのに4月からは離れ離れになるのは寂しいけどこれからも何かしらの形で接点を持てたら嬉しいな。
6年間ありがとう。
同期一言メッセージ
せいや
基礎クラが一緒だったのもあって割と序盤から仲良くしてくれてありがとう。1年生のときせいやんちに集まってスマブラしてた頃が懐かしい。振り返ってみると圧倒的にレグ組んだ回数多かったな。2年生のときのチーム戦ラポラA戦でしゅーやさんの左を抜けるサービスエースが一番痺れた。セパの苦楽を一番一緒に経験してきたであろう男。ありがとう。
みきお
なんやかんやあって最後はセパの世界に入ってくれて良かった。最初はめちゃめちゃいたアタッカーは6年間経って俺らしかいなくなったけど、院生になってからはみきおがいたから自分も頑張れた。最後の道大、練習の時から全然勝てなかったの地味に悔しかった。第一印象は「俺のことみっきーって呼んで」って言ってきたやばい男。ありがとう。
ひろき
コロナで大変だった時期にもキャプテンとして先輩と話しつけたり主体的に行動してくれて本当に助かった。オンラインでトレーニングはしてないけど、ひろきと組んでもっといい結果を残す実力があったけどあんま残せなかったのが悔しい。もっと体柔らかくなって今もアタッカー続けてたら化け物になっていたであろう男。ありがとう。
よしこ
一番仲良くなるの遅かったっけ?あんま覚えてないけど新歓ドライブの時からめちゃめちゃ元気いい人やんって思ってた。よしこ飯はまじで何回お世話になったかわからん。めちゃめちゃ美味しかった。あと何回背ブロ止められたかもわからん。多分よしこ飯行った回数よりも止められた。ブロックうますぎ。もうブロック止められることないのちょっと寂しい。ありがとう。
こころ
よしことは反対のようなタイプだったから割と序盤から親しみやすかった気がする。何回開催したかわからないくらいのアイスケーキ会も思い出。またやりたいな。怪我であんま練習行けなくてラポラでよしこじゃない方芸人になるとか気にしてたけど、持ち前の親しみやすさで後輩からも慕われててさすがだなって思った。バリ島の帰りに香港で言われたことが6年間で一番んおおってなったけど笑。ありがとう。
もう追いコンされてるけどけんせいにも一言
セパに関してはけんせいの影響が大きいなと思う。俺らは一個上の代のようにバチバチに争うことはないけど、やっぱりどうしても意識する部分があったよね。「こいつには負けねえ」って思って向上心を持ててセパできたのはけんせいのおかげです。4年生で完全に追い越されて、また張り合えるまで頑張ろうと思ってたのに気がついたらいなくなってて、気持ちがよくわかんなくなったのは事実だけど、総じてありがとう。
最後になりますが、ラポラに入って本当によかったです。6年間ありがとうございました。
2024.3.30 ラポラ17期 アタッカー 野津 敏史
4 件のコメント:
200点の日記💮
今週末か来週飯いこーぜ
GD死ぬほど出来ない気がするけどがんばりますね
最後ごめんね!?でもそういうところも素敵だよってこと、伝われ〜。個人的に1番優しいと思ってる!横浜はええとこ。6年間ありがとう
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